ある兄弟の一日




・・・・・・

・・・・・・

「・・・・・・私、タバコが嫌い」

・・・・・・

・・・・・・


静まり返った和室。電気すら点けていないその部屋、その中に三人の人影がある。

「それだけでは無いだろう」

一人、落ち着いた感じの中年の男性が柔らかく問いかける。

「・・・・・・茶髪の男も嫌い」

中年の男性と向かい合う少女が顔を俯けたまま静かに答えた。

次いでキリッと何かが軋む音が響く。

ああ、そうか。少女が我慢に耐え切れずに歯を食い縛った音か。見ると少女の口が少しだけ引きつっている。

さて、反省会はこのくらいにしてあげよう。爆発する寸前だし。



「父さん、もう良いだろう。朱加も反省してるみたいだし。ついでに言うと相手にも非はあった」

落ち着いて父親に進言する。ああ、ちなみに朱加とは今項垂れている少女の名前だ。

小柄なくせに女性らしいところは過剰なほど主張された容姿。それとは対照的な性格。去年までカトリックのお嬢様学校に通っていたとは思えないほどぶっきら棒なその態度は数年前の姿を幻滅されて余りある。

最近、学校では影で”歩くニトログリセリン”とか言われてるのを耳に挟んだことがある。

その言葉に過剰な悪意は感じなかったし、本人には言えないが良い得て妙だと思う。

「フム。お前がそう言うならここまでにしよう」

父さんが少し顔を緩めて口を開いた

本当は怒る気なんてサラサラ無いくせにとりあえずと言った形で朱加を正座させていたのだ。

「ではな。きちんと反省するように」

さすが。表面上は厳しい父親であろうとしているのだろうが、相手に謝るように言わないあたり溺愛ぶりが伺える。どうせ相手方の対応など済ませてしまっているのだろう。



「黒良、助かったよ」

朱加がさっきまでの事は記憶から消し去ったとばかりに態度を変えて声をかけてきた。

「別に。父さんも朱加も限界だと思ったからさ」

袖からティッシュを取り出して朱加に渡す。

「なんだ?」

まったく分かってないのか。どうやらあまり痛みを感じて無いらしい。

人差し指でチョンチョンと自分の唇を指差す。

「あ、なんか変だと思ったら涎じゃなかったのか」

ぺロリと口の周りを一度舐めてからティッシュで口を拭った。

「まったく、どうしてそこまで悔しがるかな」

ムッと朱加の眉に皺が寄る。

「それに、理由がタバコが嫌いで茶髪の男も嫌い・・・・と」

確認するように問いかけるのだが朱加の眉は釣り上がってきている。

「だって、しょうがないだろ」

確かに、それ相応の理由がある。あるのだが、知らない相手にいきなり黄金の右ブローを食らわせて、ふらついた相手を外に蹴り出すのはやりすぎだと思う。

だから”歩くニトログリセリン”とか言われるんだ。と言いたいのだが口にした瞬間にソレは爆発が確定するので胸にしまっておく事にしよう。

「とりあえず風呂に入って寝よう。もうこんな時間だし」

時計を見ると後一回りで時計が垂直になろうかと言う時間だ。

「そうだな。それと、ありがとう」

「別に、姉さんを助けるのは弟の役目ですから」

少し皮肉を加えて答える。

「懐かしいね”姉さん”て呼び方。それじゃ、お休み」

朱加・・・・・・姉さんは少しだけ微笑んで部屋を後にした




窓の外、薄っすらとした光が私を照らしている。

「ん・・・・・朝か」

ゆっくりと目を開けると、燦々とした太陽。今日もいい天気だ。

布団から起き上がって大きく背伸びをする。

やはり目覚めは朝日に限る。目覚まし時計なんてものを使うのは騒々しくっていけない。四季、日々ごとに寝る位置を少しだけズラすのも楽しい。

さて・・・・と。お気に入りの真っ赤なシルクのパジャマを脱ぎ捨てて下着をつける。

此処数年で膨らんできた胸。寝るときに下着を着けると息苦しくて眠れない。

とか思いつつも、たたんだ布団の上に乗っている歪な棒状の枕を見る。考えてみれば抱き枕と言うのも息苦しいものではあると思った。ただ、何かに抱きついて寝る。それは凄く安心できるから今更やめろといわれても困ってしまうが・・・・

パンと一度勢い良く振ってから袖を通す。コレも日課。薄手だから少し肌寒いけど、此処は諦めるしかないか。

下にパジャマと同じ真紅の袴をつけて準備完了。

「よし!」

気合を入れて外に向かう。



「はぁ、はぁ、はぁ。」

荒い呼吸、息苦しい。

でも、朝から汗を流すのはやはり気持ちの良い。

軽く庭をランニング・・・・と言っても一周数キロはあるのだが。その後は木刀を持って素振り。自分で言うのもなんだが癇癪持ちで飽きやすい性格の私が唯一、子供の頃から続けていることはコレだけだった。

剣道の道場にも通っていたし部活もしていたが去年、高校に入学したと同時にやめてしまった。でも剣を振る事が嫌いになったわけじゃない。ただ、道場には昔の私のイメージが強く残っているから今更戻る気にならないだけ

つまり・・・・私は剣道が好き。コレだけは変らない。



「ふぅ」

少し考え事をして呼吸が落ち着いたので、洗い場に足を向ける。

冷たい流れ”私に触れるのもは許さない”とばかりに二月の水道は冷たい水を流し続ける。

私にそんなものが通じると思うな。私は困難なほど燃えるんだ。

流れ落ちる水を手で遮り、勢い良く顔を洗う。

バシャバシャ。バシャバシャ。綺麗な音が石畳に染みを残して奏でられる。

さて、日課も済んだしお風呂に入って汗を流そう。

近くの枝に掛けて置いたタオルで顔を拭きながら玄関に入る。

「ふぁ〜〜あ」

私の目の前で大きく欠伸をする男。弟の黒良。

学年一の秀才。生徒会副会長。来年の生徒会は安泰だとか言われているけど、私はかなり不安だが・・・・・。

こうして見ると瞑っているようにしか見えない目。別段朝だからとかではなく、四六時中この状態なのだ。ついでに言うと眠そうな顔もまったく変らない。朝も弱けりゃ夜も弱い。はっきり言って何も無い日などは起きてる時間の方が少ないときもある。

しかし、コイツには人を惹きつける何かがある。弟バカだとは思うけど、顔の通りの柔らかい物腰とノリの良さで学校の中じゃ男女問わずに人気はあるのだ。

そうそう、学校で思い出したが私の学校はかなり特殊だ。工業高校と言うのもあるのだろうが。機械科や電気科は男性ばかり女性なんて片手で数えても余るほどしかいない。逆に建築科やアパレル技術科(未だに良く分からない科である)の方は女性ばかりで今度は男性の方が少ない。

つまり、女子高と男子校が一つの校舎にあるようなもの。間違えてもコレは共学ではないと断言できる。
そして私は黒良と同じく電気科に在籍している少数派の人間なのだった。

「それじゃ、風呂に入ってくるからまた後でな」

タオルを首にかけて風呂場に向かう。

念のために浴槽を確認すると澄んだお湯が湯気を立てていた。毎朝の事だし、以前に風呂が汲まれていなかったときには烈火のごとく怒ったから汲み忘れなんて事は無いと思っていたけど。

「さてと、それじゃ一風呂浴びるかな」

腰紐を緩めるとスルリと脱皮するように簡単に袴が下に落ちる。

ついでに頭を縛っている蝶を解いて髪の毛で作っていた子馬の尻尾を無くす。

「ごきげんよう」

鏡に向かって微笑んで挨拶する。

「ははは」

つい笑ってしまった。だって鏡の中の人物は下着姿で上品に微笑んでいたのだから。うん、今の私でもキチンと優しい微笑みも作れるし仕草も出来る。私は全てを信じられる人を見つけたときにこの姿に戻る事にしてる。だからコレは忘れないための練習。

まぁ、私なんかをもらってくれる殊勝な人なんて一生現れないかもしれないけれど。それでも良いと思ってる・・・・・ただ、コレは願掛けみたいなものだから。



「・・・・俺は人生を無駄にしてる気がする」

脱衣所の前で小さくそう呟いた。

いつもなら既に湯船に浸かっている時間だからと言われて、使用人から着替えを渡されたのだが・・・・・未だに朱加は脱衣所にいる。

そんなわけで俺も入るに入れずにこんな所に立ちっぱなし。

コレを無駄と言わずしてなんと言おうか。とにかくこのままは辛いのでトントンと目の前のドアを叩く。

「なに?」

ドアの向こう側から朱加の返事をする。

「着替えを持ってきた」

要件だけ告げると、ほんの少しだけドアが開いて腕が出てくる。

「早弥は?」

「朝飯の準備で忙しいんだってさ」

制服を手渡す。

早弥(サヤ)とは朱加の使用人の名前。我が家で数少ない女性のため、こんな風に食事や洗濯の時間に朱加の用事がぶつかると俺が借り出されるわけだ。早弥は朱加に付っきりと言うわけではなく、必要なときに必要な事をする人。だからこそ朱加に付き合っていられると思う。これが世話焼きな使用人だったら毎日のように爆発してるはずだから。

「そうなの? 態々ありがとう」

なんだろうか?

朱加の言葉使いが妙に優しい。何か災いの前兆のような気がする・・・・・。

とにかく、用事は済んだのだから俺は学校に行く準備でもしておこう。



「ご馳走様。早弥の料理はいつも美味しいね」

特に、今日は私の好きな炊き込みご飯だったから上機嫌!

「ありがとうございます。朱加様も出来ないわけじゃないんですから、日本料理を覚えたらいかがですか?」

「んー、今のところ必要ないしなぁ・・・・」

確かに中学時代はお嬢様の学校だけあり、家庭科で料理を作る事が多かったけど・・・・それはクッキーとか洒落た洋食ばかりで和食は殆ど習わなかった。

「早弥さん、そのときには朱加に唐辛子製品を渡さないようにしてね」

黒良が爽やかに嫌味を言ってくる。

「ふん、私には丁度良いんだから良いだろ。だいたい、作る人の好みに合わせるのが料理ってもんだ」

「「・・・・・・・・・」」

おや?早弥を含め、周りから恐ろしく冷たい視線があるのだが気のせいだろうか。

ついでにピシリとガラスにヒビが入ったような音をしたのも気のせいにしておこう。

「そ、そうですね。朱加様には追々覚えてもらうと言う事で・・・・・・あ、お弁当を包まなきゃ。それでは失礼します」

あからさまに早弥は逃げて行った。言いたい事は言った方が良いのに。

「さて、それじゃ俺たちもそろそろ行こうか」

黒良が立ち上がる。

「そうだね、そろそろ行く」

早弥に渡された弁当をバッグに詰め込んで外に出る。

「おはようございます。朱加様。黒良様」

黒塗りのワゴン車の傍で中年のオジサンが私たちに挨拶する。

「「おはようございます」」

黒良と声を合わせて返事をする。

「それじゃ、今日もお願いしますね」

早々に車に乗り込んで後ろの席を占領する。中部の座席に黒良が座り、一番前が運転手。コレがいつもの乗り方。



車で片道二十分。自転車で通うことも出来るのだが父さんは首を縦に振ろうとはしない。スカートで自転車に乗るのが父さんは許せないのだ。そうすると自分で登校するのは徒歩、と言う事になってしまう。

別に歩くのは構わないのだけれど、そうすると起きてすぐに家を出なければ間に合わない。それこそ無駄だと言う事から仕方なく自動車で通学しているのだ。

「おおー、みんな元気だね」

窓の外を見ると、我先にとばかりに猛スピードで走る自転車。私も自転車に乗りながら登校をしてみたい。この風景を見るとうらやましく感じる。

少しすると校舎が見えて来た。そして、車は校門の前で停車する。多少・・・・・と言うか、かなり目立つが回りの生徒たちは見慣れているので気にせずに車を降りる。

「それでは、お気をつけて」

「うん、帰りは連絡を入れるから」

そう答えて校舎に向かう。


「黒良」

・・・・・。

「ねぇ」

・・・・・。

「黒良ってば!」

「うわっ」

大声で呼ぶと黒良が驚いて大きく体を跳ねさせる。そして読みふけっていた教科書が床にパタリと落ちた。

「何だよいったい?」

少し不機嫌そうに眉を顰めて私を見てくる。

「・・・・見せて」

ムッと明らかに嫌そうに顔を顰めてから明らかな作り笑いをして口を開く。

「なに、パンツでも見たいのか?」

ふざけた事を言ってくるのは分かっていたから言葉と同時に鉄拳制裁を食らわす。

ゴチン

「いってー、暴力反対。大体やらなかったのは朱加だろ、八つ当たりするなよ」

「ぐっ、それはそれだ。困ってる姉を助けるのが弟の役目なんだろ」

かなり苦しい言訳だけど、昨日黒良が言ったことばだ。

「それを持ち出すか・・・・・仕方ない、予鈴までだよ」

渋々とノートを机から持ち出す。

「サンキュ」

さて、移すだけとは言え二十分で何処まで写せるかは時間との勝負だ。


ザワザワ

・・・・カリカリ

ザワザワ

・・・・カリカリ

ザワザワ

・・・・カリカリ・・・・・パキリ

ザワザワ

「・・・・・・っさい」

ザワザワ

「・・・うるさーい!」

ピタリとざわつきが収まる。

「黒良、姉上がご乱心だぞ」

誰かがふざけた事を言う、その瞬間にプチリと何かがキレた。

「お前ー、そんな事言ってただで済むと・・・・・」

言い終わる前にチャイムが私の言葉を遮る。

「はい、タイムアップ。後は自力で頑張りな」

スッと横からノートを持っていかれる。

「黒良〜」

「そんな情けない声出してもだーめ。写すだけじゃ理解できないだろ」

正論だ、それは正しい。だが、今は理解するとかよりも優先されて課題を忘れた罰の方が嫌なのだ。

「なんだ、結構写してあるじゃん。後は内容を理解すれば解ける問題ばかりだから」

黒良が無常にも席に戻っていってしまう。授業開始までのわずかな時間に全てをかけるしかない。


・・・・・

「どうだった?」

HRが終わり、机に突っ伏した私に黒良が問いかけてくる。

「轟沈」

口だけを動かして答える。

「そっかそっか」

あー、コイツ笑ってるな。いつもなら怒る所だがそんな気力さえ無い。

ガラリと教室の扉が開く。あれ、担任が入って来たぞ? さっきHRは終わったはずだから次は専門学科の教師が来るはずなのに・・・・。

「先ほども説明したように、転校生の紹介と合宿の事についての話に一時間目を当てる」

聞いてません。考えるのにいっぱいでまったく耳に入ってきませんでした。

黒良を見るとニヤリと笑ってる。少しムカついたけど課題が明日まで延期になったのでまぁ、許してやるとしよう。

「それじゃ、入ってきなさい」

「はい」

ガラリと教室のドアが開いて男女二人が入ってくる。

「おおー!」

教室が騒然となる。私も二人に視線が釘付けになった。

これは、また・・・・漫画や小説にでも出てきそうな美男美女の組み合わせ。特に女性の方は男性と同じくらいの身長でうらやましい限り。

カツカツと先生が黒板に名前を書いてるが、そんなものは目に入らない。はっきり言って、二人とも性別に関係なく見ほれる価値のある容姿だったから。

ボーっと見ていると、男性の方と目が合った。

「えっ?」

その一瞬、明らかに憎悪が彼の瞳にあった。私は・・・・彼に会った事は無いはず。それなのに何故親の敵を見るような目で私を見るのだろう。思わず視線を外して下に移動させる。

「コラ!」

ガツンと少女が彼の脛を蹴飛ばした。

「痛っ〜」

そして、痛がる彼を無視して私のほうに歩いてくる。

「その目は茶色と言うよりも暗い金色。ショートヘアーの髪。均整の取れた細い体と伸びる手足。近くで見ると本当に同じ人間なのか疑問に思ってしまう。だって、少しも劣ったところが無いんだから。理想の女性像、と言うものを具現化したらこうなった。って言われたら素直に納得してしまうだろう。

「ゴメンね、嘉向の馬鹿が睨んじゃって」

「うん・・・・・別に」

何が別になんだろう、無意識に答えてしまった。それに何でこんなにドキドキしてるんだろう。

「そう、なら良かった。コレからよろしくね」

ニコリと笑って手を差し伸べてくる。整った顔を崩すほどの笑顔、それが彼女に良く似合ってる。私が手を握り返すと、ぶんぶんと音がしそうなほど勢い良く手を振って握手をした。

「ファル、何時までそんな事やってるつもりだ?」

「ああ、ゴメン」

スタスタと少女が戻って行く。そうか、女性の名前はファル、男の名前は嘉向(カナタ)と言うのか。

その後、二人を見ていたけど嘉向の方は私を意図して避けているようで一度として目線が合わなかった。

自己紹介が終わって分かった事は二人とも白澄”シラズミ”と言う苗字で双子だったと言う事と、親がおらずに養母に養われていることだった・・・・。

「それじゃ、後ろの空いている席に座りなさい」

一通り紹介が終わると先生が二人に席に着くように指示した。何の因果か空いている席は私の隣と黒良の後ろ。予想したとおり、ファルが私の横に座った。

「これからよろしくね」

「・・・・うん」

顔が赤いだろうな。そんな趣味は無いのに何でこんな風になってるんだろう。




・・・・・本日何回目かのチャイムが鳴って昼休みになる。

「朱加、一緒にお昼食べよ」

そう言うや否や、机を合わせてくる。

「ああ、良いよ」

私も机を動かす。

ゴトゴトと横から机を動かして嘉向が近寄ってくる。

なんだ、コイツ。私の事を睨んだくせに。一人で寂しく飯を食えば良いじゃないか。

「むっ」

嘉向と目が合った。本日二回目。明らかに不機嫌な表情を浮かべてる。

「嘉向、白米だけの弁当が食べたいの?」

ファルが少し冷たく言い放つ。

「悪かった。ゴメン」

「謝る相手が違うでしょ」

・・・・・

「ゴメン」

ポリポリと頭を掻きながら嘉向が手を差し出す。

「どうでも良いけど」

私も少し嫌そうに手を出す。

「ゴメンね、嘉向って捻くれてる上に女の子がだいっ嫌いだからこういう態度しか取れないのよ」

ファルがそんな事を言ってくる。ふぅん、前の学校でそう言う奴がいるってのを聞いた事はあったが実際にいるとは思わなかった。単なる噂話だと思ってたのに・・・・・。

「はい、嘉向」

そんな事を考えている間にファルは弁当箱を三つ取り出して一つを嘉向に渡す。

もう一つはファル・・・・・そうすると残りの一つは・・・・。

蓋を全て開けたところで意味が分かった。

もう一つはおかずが入ってる。つまり、二人はその弁当箱からを共有してるわけだ。から揚げやウィンナーと言った定番がその中にギッシリと詰め込まれていた。

「朱加も良かったら食べてね」

「うん」

なんと言うか、この二人は対照的な感じがする。ファルは人懐っこく、明るいからとても付き合いやすい。それと正反対に嘉向は話しかけなければ話さないタイプで大人しい。しかも捻くれている上に女嫌いと来た。

「「頂きます」」

ファルと嘉向が声を合わせて弁当を食べ始める。私もそれに習って弁当に箸をつける。



「ねぇ、案内してくれない」

「いいよ」

・・・・・・安受けあいしてしまったな、と思った。だけど答えた後だから”やっぱりダメ”とは言えない。ついでに言うとこのクラスにいる女性は私独り、必然的にそう言う立場なのだろうけど。

「此処が理科室だ」

「・・・・・ああ」

プイと窓側に顔を背けた男。コイツも一緒に来るって事を忘れてた。それにしても、コイツムカつくなぁ。

「朱加、何してるんだ?」

廊下の反対側から黒良が歩いてくる。

「ああ、ファル達に校舎の案内してる」

「そうか、お疲れ」

ポンと肩を叩いてそのまま素通りしようとする。そうはさせるか。ガッチリと黒良の腕を掴む。

「げっ」

「まぁ、そう言うわけだ」

雰囲気で私の言おうとした事は分かったらしい。大げさにため息を付いたあとに渋々「付き合うよ」と言ってくれた。



・・・・・。

「で、此処が中庭。とりあえずそんなところ」

校舎から実習等まで一通り案内して回った。その間、ずっと嘉向とは口を聞いてない。話しかけても適当な返事のみなのでムカついたから無視した。

「ありがとう」

ファルが丁寧に頭を下げてお礼を言ってるのに捻くれ者は我関せずとばかりに周囲を見回してる。

「おい、案内は終わったぞ」

最後に言葉をかけても返事は無い。

ああ、もう限界だ。相手にしないようにしてれば良いのかもしれないけど、そんな器用な真似は私には出来ない。

「嘉向。お前いい加減にしろ!」

肩を力いっぱい掴んで引っ張る。

「朱加。止めとけって」

黒良が止めに入るけど、爆発した私は止まらない

「女嫌いって話しは聞いたけど、お前の場合は咋過ぎてるんだよ。人を不快にする。お前みたいな奴が何でこの地球上に生きてるんだ!」

本日三度目。私の暴言で嘉向がこっちを振り向く。

「・・・・・・」

目が合った瞬間に、私の見ていた世界は変ってしまった。全てが灰色に塗り込められたように色が無くなり、風にざわめく木々の音すら聞こえなかった。

ゾクリ。ゾクリ。手足を縛られて、背中に氷を入れられたような感覚がして全身に鳥肌が立つ。

背中に感じる悪寒を誤魔化すのに体を動かそうとするんだけど、此方の意思とは裏腹に体がまったく動いてくれない。

「お前・・・・・・・・死にたいのか?」

それは、本当に冷徹な声だった。感情の無い、機械のような声。

映画やアニメとは違うと思った。小説なんかじゃ良く使われてる言葉。それは本来どのように口にするのかがその時に分かった。


ああ、本当の人殺しはこんな風にその言葉を口にするのか・・・・・・。


ゆっくりと、服を掴んだ手に彼の手が触れる。

手を離そうとするんだけど、体はさっきから言う事を聞いてくれない。

少しずつ、ゆっくり、ゆっくりと手が重なった。

私はこの瞬間に“終わった”と思った。何が終わったのか。何が終わるのか。そんなものは考える前に・・・・・・。



手を握られ、ゆっくりと服から私の手が離れる。

何で。って思った。私の意志じゃどうにもならなかった事をこんなに簡単にできるなんて。

「・・・・・・ふぅ。悪かったよ。ガラにも無く怒っちまった。それと、学校案内ありがとうな」

世界がまた変った。何事も無かったように世界には色と音が戻る。


頬を何かが伝った。それが私の涙だって理解する前に、体の方が反応していた・・・・。

「・・・う、ううぅ。うぁあぁぁぁぁぁ」

あの時。そう、あの時ですら声に出して泣いた事は無い。物心がついてから初めて、私は声に出して泣いた。

床にへたり込んで、周りの事なんか気にせずに。ただ、ただ、泣いた。

心にストレスが溜まると人は泣くと言う。ならば簡単にはこの涙は止まりそうに無い。一日中この涙は止まらない、そう思った。




「バカヤロウ!」

バキッと良い音がして嘉向の顔面に拳が打ち込まれる。

朱加。と言う少女が泣いた事を彼は理解した瞬間に行動に出た。

咄嗟の事で反応が遅れたのも理由だけど、それでも嘉向の顔面に拳を入れるなんて、なかなか良い腕をしてる。なんて思った。

嘉向も色々な“訓練”を受けてるから生半可な事では触れる事すら出来ない。

「痛っ」

頬を押さえて嘉向が立ち上がる。

「何のつもりだよ」

嘉向が問いかける。

「お前は俺の大切なものを傷つけた」

ああ。それは分かる。私だって大切なものを傷つけられたらボコボコにしてやりたくなるもの。

「黒良。喧嘩を売ってるのか? ちゃんと謝っただろう」


確かに、嘉向の方が正論だと思う。いくら近しい人物だろうと本人同士の問題だと思うから。

「そんなのは関係ない。俺は朱加を守るって決めてるんだ。だから、彼女を傷つけるものは許さない」



「そっか」

ニコリと笑う嘉向。黒良は一瞬動揺してる。それでおしまい。

次の瞬間には深々と腹部にを突き上げる拳が突き刺さっていた。

あーあ、コレで転入早々敵を二人も作ってしまった。これからの学校生活いったいどうなるんだろ。

「・・・ま・・・て」

おーおー、シブトイわね。黒良クンは嘉向の足首を掴んでる。

珍しい。嘉向が固まってる。あんなの顔面に蹴りを入れれば終わるのに。

「このっ!」

さっきとは逆に嘉向が固まってるから足を引かれて簡単に転ぶ。

その上には馬乗りになった黒良が拳を振り上げてる。


左右交互に、何度も、何度も手を振り下ろして嘉向の顔を叩く。

黒良の体格は大きい。嘉向にあの体制を返すのは難しいね。

と、頬に何かが飛んできた。

指先でそっと触れてから目の前に持って行くと。それは真っ赤な絵の具だった。

ああ、嘉向の血か。ペロリと舐めて深呼吸する。

「そろそろ、止めないとマズいわね」

無意識に思った言葉が口から出る。



・・・・・

「そろそろ、止めないとマズいわね」

ワンワン泣いていた私が、何故かその言葉だけは聞き逃さなかった。

呟くような小さな声であったにもかかわらず、何かを感じ取ったのかもしれない

まだポロポロと涙が溢れてくるけど、がんばって口を開く。

「まずいって、何が?」

少し声がひっくり返たけど、何とか言葉に出来た。

「あ、泣き止んだんだ。あれを止めないと・・・・・ね」

ファルの目線を追うと、そこには馬乗りになって人を殴っている黒良がいた。

周りには血が飛び散っている。アレはやりすぎだ。止めなくちゃ・・・・・。意を決して立ち上がる。


その瞬間に、黒良の動きが止まった。その後バランスを崩して後ろに倒れる。

「あ、ホントにマズイ。あの馬鹿キレたかも」

急いで駆け寄って行くファル。その先では倒れた黒良と、立ち上がった嘉向がいた。

「・・・・・・」

顔を見て嘉向が怒っているのが分かるから、逆に無言なのが不思議だった。

ボキッと音がした。何の音かと思うと、もう一度ボキッっと音が響く。

「〜〜〜!」

黒良が声にならない悲鳴を上げて転げまわる。

「そこまで。ストーップ!」

最後の止めとばかりに足を振り上げた嘉向をファルが押しとどめる。

「離せよ!」

力いっぱい抵抗する嘉向をファルが軽々と押さえつけてる。見た目は細いのに、恐ろしいほどの力だと思う。それを見て、私は黒良に近寄る。

「黒良、大丈夫!」

抱き起こすと、苦痛に顔をゆがめる黒良。腕は力なく垂れ下がってるだけだった。

バシンと後ろで音がした。

「大丈夫。ちょっと見せて」

ファルが黒良の肩を触れて何かを調べてる。

「んー、コレは骨にヒビが入ってるかも知れないわね」

淡々と言われるけど、骨折なんて喧嘩のレベルを超えてると思う。まぁ、馬乗りで血が飛び散るほど殴り続けた黒良も悪いけど。

ともあれ、コレは病院に連れてか無いとまずい。

「私、先生に言ってくる」

黒良も、嘉向もお互いに悪い。停学になっても仕方ない。そう思って校舎に振り返ったときに黒良の声が聞こえた。

「待て、朱加。それは流石に・・・・マズイ」

振り返ると、蒼白な顔をしてる黒良がいた。

「迎えを呼んでくれ。俺と嘉向は・・・・それに乗って病院に行く」

・・・・・

「分かった、適当に私たちで誤魔化しておく」

渋々とポケットから携帯を取り出した。



「うん、よろしく」

そう言って、朱加が携帯電話を閉じる。つまり。内々に処理してしまうと言うことだろう。

「すぐ来るってさ」

どうやら上手く連絡が付いたみたいね。

「そっか、嘉向。お前も一緒に病院に行くぞ」

庭のほうにいる嘉向を黒良が呼ぶ。

「ああ、大丈夫だよ。少し口を切ったくらいだから」

んー、床に飛び散ってる血はその程度じゃありえないんだけど、余計な詮索をされる前に一押ししておこう。

「そうね、嘉向なら大丈夫だから黒良は早く病院に行った方が良いよ」

「うわっ」

黒良をお姫様抱っこして歩く。

「朱加。黒良の荷物よろしくね」

「・・・・・うん」

呆然としてたところに声をかける。私は人よりちょっとだけ力持ちだからコレくらいは問題ない。嘉向に言わせると「ちょっとどころじゃない!」って豪語するだろうけどね。

目の前を朱加のポニーテールがヒラヒラと動いて行く。

「嘉向、行くわよ」

外を見て黄昏ている男を呼ぶ。

「ああ、そうしよう」

素っ気無く答えて私の後ろについてくる。

抱えてる男性を見る。肩の脱臼、それと鎖骨に罅が入っていそうだ。

「ハァ」

ため息。嘉向がキレたからこのくらいで済んで良かったとは思うけど、一般的な高校生がやる事じゃない。

馬乗りになられた嘉向は・・・・・目打ちで動きを止め、鼻腔に指を引っ掛けて持ち上げ、黒良を退かせた。その時点で喧嘩に分類できるかどうかの裏技のオンパレード。その後肩口に一発。鎖骨に一発踵蹴りを入れた。

・・・・スマートと言えば聞こえは良いけど。どれを取っても喧嘩で使う技とは言えない。

ついでに言うと嘉向の方はアレだけ殴られて口を切った程度。いや、今はもう無傷になってるはずね。

つまりはそう言う事。嘉向は特殊な訓練を受けていて、更に異常なほどの回復力を持っている。だからこそ、此処まで捻くれて育つことが出来たのだろう。彼を矯正出来る人物は私の知る限り二人しか知らない・・・・・。



「ファル」

校舎を出たところで嘉向に呼ばれた。

「なに?」

「やっぱり俺もそいつに着いてくよ」

彼も落ち着いたのだろう。やりすぎた事を後悔して着いてくみたいだ。

「荷物頼むな」

彼が別行動を提案した事にちょっと驚いた。

私と嘉向は今まで殆ど別行動を取った事が無い。それと財布も一緒。私が管理してる。最初、お互い別々に管理しよう。と言う事にしたのだけれど、渡したその日に月の生活費の半分を使い切ってしまった。

それが養母に発覚して”あるだけ使い切る馬鹿には財布を持たせない”との命令を受けて私が管理するようになった。今も嘉向の財布には”小さいお札”が一枚程度のはず。

流石にそれでは心許ないだろう。

「嘉向、財布」

立ち止まる。

「オッケー」

嘉向の手が私の胸元に滑り込む・・・・・と言ってもブレザーの内ポケットに入ってる財布を取るためだけど。

「好きなお札一枚抜いて良いよ」

「むぅ・・・・」

少々悩んだあとに“中くらいのお札”を一枚抜き出して、財布を元の場所に戻す。


「なに見てるの、黒良?」

「あ、いや、その・・・・・お前たちは何も感じないのかな・・・・って」

黒良は顔を赤くして胸元、と言うより財布の行方を追っていた視線を外した。

「別に、ねぇ」

「俺に振るなよ」

冷たい男だ。

「ふぅん」

黒良の顔が緩む。

「黒良だって、朱加とこれ位の事はするでしょ?」

休みに時間に聞いたけど、黒良と朱加は双子。私たちに近い存在ならば体に触れられるくらいの事を気にするはずが無い。

「それが、無理なんだ。今みたいな事をしたら・・・・木刀で袋叩きにされる」

黒良の目線が動いたのでその先を見ると、いつの間にか朱加が鞄を持って立っていた。

「怪我人だと思ってたけど。もう一箇所くらい関節外すか?」

今の会話が聞こえていたんだろう、眉毛を吊り上げていかにも”怒ってます”を強調した朱加が脅してる。

ああ、そう言う事なんだ。彼の場合は多分、遠慮してる。何かは分からないけどそうする理由があるはず。



「荷物は俺が預かるから、お前たちはもう戻って良いぞ」

これまた驚き。嘉向が自分から女性に声を掛けた。さっきの事が合ったとは言え”普通”の女性に彼が声を掛けたのは数年ぶりの事じゃないだろうか・・・。

「私も着いて行くよ」

朱加も大体性格が判った。人に言われたからって素直に聞くタイプじゃない。

「良いから」

「良くない!」

「わっかんねぇ女だな!」

「お前の方がわからない。いったいなに考えて生きてんだ!」

言い争いになってる。あんな事があった後でも変らない朱加も凄いし、嘉向も凄い。良くまぁ、そうやって良い争いが出来るもんだ。

そっか、あんな事があったから、なのかな。朱加も嘉向の事を多少理解し。嘉向も理解したわけだ。

「良いから戻れ。お前がいると暑苦しいんだよ!」

「暑苦しいって言うな、性格破綻者!」

「なんだと、この我が儘自己中女!」

もう、会話の内容は小学生まで退化している。

「ははは」

黒良が笑った。大人しいからこんな風に笑うなんて思わなかった。

「「何がおかしい!」」

二人して示し合わせたように黒良に食って掛かる。

「いやいや。朱加がそんな風に本音で言い合える相手が出来たんだなってね」

優しい声。

「そうだね、朱加って嘉向と一緒で壁を作るタイプだもんね」

私も一言付け加える。

「むっ」

二人して気まずそうに顔を背けて口を閉じてしまった。



静かになると、車の音が近づいてくる音が聞こえた。

「ああ、丁度迎えが来た見たいね。それじゃ、私は朱加と戻るから」

送迎の車が到着したので、黒良を乗せる。

「朱加、戻ろう」

「・・・・うん」

渋々と納得したようで、朱加も私に着いてくる。

「ファル」

「ん、なに?」

校舎に歩きながら話す。

「あのさ・・・・嘉向の事、少し教えてよ」

「んー、私の事。ってことなら多少は教えるよ」

彼は私と共通する部分が殆どだからそれで良いと思う。嘉向個人の事はあまり教えたくないし。

「うん、それで良い。これからもよろしくね」

朱加の差し伸べる手を私はしっかりと握り返す。

「私のほうこそ。これで友達だね」

コレで良い。本当は友人を作るつもりは無かったけど、彼女のような人間は嫌いじゃない。

私達の事を知りすぎなければ・・・・・・・と言う条件付だけど。




「起きてるか?」

返事を待つ。コイツ、細い目と顔つきのせいで黙ってこうしていると起きてるのか寝てるのかまったく分からん。

「寝てるわけ無いだろ。痛くて眠れやしない」

眉に少し皺を入れて答えてくる。

「そっか、少し窓を開けるから」

窓を開けて、タバコに火をつける。

「お前、なにやってんだよ?」

少し強い声で話しかけてくる。

「いや、学校から出たし一服しようと思って・・・」

「はぁ!?」

ああ、そうかそうか。気がつかなかったな。

「ほれ」

口にタバコを咥えさせてライターを近づける

「んー」

黒良が渋々とタバコに火をつける。

「それにしても、良くわかったな」

「なにが?」

フゥ、と紫煙を吐く。

「俺がタバコを吸ってるって事だよ。学校の奴らも朱加も知らないはずなのに・・・・」

「お前、俺たちに合う前に一服してきただろ? 殴られたときにタバコの匂いがした。いくら口の匂いを消してもバレバレだぞ」

そう、だからコイツがタバコを吸ってるのがわかったんだ。

「お前、結構あざとい奴だよな」

「褒め言葉として受け取っておこう」


窓の外を見ながら半分以上あるタバコをゆっくりとふかす。


「お前さ、俺の事怒って無いのか?」

二本目に火をつけようとしたときに、黒良が問いかけてくる。

「あの時はキレたけど、別に怒っちゃいないよ。だって、大切なものを守るためだったんだろ? 逆に見直したよ。そのためにあそこまで怒れる奴なんてこの国にはいないと思ってた」

そんな人間が希少な存在だってのは良くわかってる。俺達の生きてきた世界は次の日には生きていられるか分からない世界。いざとなれば親、兄弟すら犠牲にして逃げるような世界だ。実際、自分以上に大切だ。とか言ってるこの国の人間を連れて行ったらその殆どはその言葉を反故にして逃げてしまうだろう。

「それにしても、よく殴りかかってきたよな」

殺気は朱加だけでなくコイツにもぶつけてた。それが解けた瞬間に殴りかかれるのは褒めてやるべきだろう。だからこそ、最初の一発は避けなかったんだ。

「ああ、本当はチビりそうな気分だったけど、それよりも怒りの方が先に来たから」

「本当はチビってたんじゃ無いのか?」

「そうかなぁ、ちょっとパンツが冷たいんだ。脱いで良い?」

黒良がカチャカチャとベルトに手を掛ける。

「やめんか!」

こいつは面白い奴だ、少しくらいは普通の”友達”になってやろう。

「黒良、俺たちは友達になれるよな?」

「んー、非常に遺憾ですが大丈夫だと思われます」

・・・・・・・。

「ふふ」

「あはははは」

二人して笑った。

久しぶりに心から笑ったような気がする。

「黒良様、着きましたよ」

車が止まって運転手が到着を告げる

「だ、そうだ」

手を貸そうとすると、止められる。

「大丈夫だ、痛みは抑えてあるから」

・・・・・?

意味の分からない事を言って黒良が入り口に向かって行く。

「待てよ、俺も行く」

俺は診察を受ける必要は無いが付き合ってあげよう。





「で、どうだった?」

カチャカチャと組み立てながらファルがきいてくる。どうだった、とは黒良の容態を聞いているのだろう。

「見事にポッキリと潔く折れてた。熱が出てたから明日まで入院だってさ」

そう言ってテーブルの上に置かれたコーヒーを口に運ぶ。

「そう・・・・。今日はどうする?」

ファルが問いかけてくる

「んー、此処のところドタバタしてたからな。久しぶりにやるか」

ああ、そうそう。忘れるところだった。

「ソレは無しな。明日学校に行けなくなるから」

「えー!」

つまらない、と不服を申し立てているファル。

「模擬で良いからやろうよー」

そんな情け無い声で鳴きついてもダメ。

「却下。後で出来るような場所を探しておくから」

「つまんなーい」

シャコン、と手の中の塊からマガジンを取り出して確認した後、また戻す

そう、今組み立てていたのは拳銃。その中には“SMITH&WESSON”と言う刻印がある。モデルは“5906”。間違いなく本物の拳銃だ。つまり俺たちはそれを道具とする物騒な仕事を持った人間。

「そういえばさ、ターゲットと予定は?」

そのために此処に来た。

「まだ、未定だってさ。ちゃんと裏付けを取らないとね」

確かに。間違えて喧嘩を売ったら目も当てられない。

カップに残った少しばかりのコーヒーを一気に飲み干す。

「それじゃ始めるか」

「了解・・・・」



「私も相当のお人好しだよな」

手に持った紙袋を見て、呟く

あちらは口を切っただけ。此方は骨折して病院送り。それなのに何故か謝ろうと思った。骨折したのは黒良だし、私は直接関係していないけど仕方ない。黒良も「その方が良い」と賛成してくれた。

「ここ・・・・か」

標識は無い。そして私たちの家には及ばないにして周辺の家とは一線を画した大きな庭付き一戸建ての家。どうして親がいない筈なのにこんな家に住めるのだろうか。しかも二人で・・・・。

養母と言うのが余程裕福なのだろうか?

ならば離れて済む理由が無い。



養母を嫌っている?

それならば上等な家をあの二人が要求するとは思えない。



「そのうち聞いてみれば良いか」

そう結論を出して門を潜り、玄関に到着する。

・・・・・・

深呼吸してベルを鳴らす

・・・・・・

返事無し。それどころか中から物音すらしない

いないのだろうか?

家の周りを歩いてみる。

「いる事はいるみたいだな」

家の中から光が漏れていた


ガサリ


庭のほうから音が聞こえた。

玄関と庭は反対方向。音が聞こえなかったとしても不思議は無い。ならば私がそっちに行けば良い。ゆっくりと庭のほうに向かう。

家の角を曲がるとドサリと人の倒れる音が聞こえた。少し歩く速度が早くなる。

もう少しで庭に行ける。

あと数歩で到達。と言うところで不安が頭を過ぎった。誰かが襲われているとしたら?

立ち止まって耳を済ます。暴れる音、時折殴る鈍い音が聞こえた。

・・・・・間違いなく誰かが争っている。

強盗?もしくはそれに近い輩がいるのだろう。

家の角に身を隠して庭を除いてみる。

二人。同じような身長の人間が言葉を交わさずに争っている。暗くて良く分からないけど一人は金髪。もう一人は銀色の髪。

・・・・・ファルが誰かと戦ってるんだ。

それにしても、相手は男だろうがまったく力負けしていない。今だって、男を殴り倒してる。

上から押さえつけようとしたファルの顔を男が蹴り上げる。

「うわっ、アレは流石に・・・・・」

女の子の顔を容赦なく蹴飛ばすなんて・・・・・・。


許せない。ファルに加勢して取っちめてやる。

足音を忍ばせてゆっくりと近づく。幸い、近くの物置を経由すれば見つからずに行けそうだ。

物置の後ろに移動して息を潜める。



・・・・

ガタンと物置にぶつかる音。

よし、今飛び出せば・・・・・・。

意を決して物置の影から飛び出す。



「え!?」

一瞬の出来事だった。瞬きする時間、いや、それよりも短かったかもしれない。

それだけの時間に、私は後ろから両腕を羽交い絞めにされ、目の前の男は襟首を掴んで拳を振り上げていた。

ただ、その拳は何時まで立っても動かない。

「・・・・・朱加?」

後ろから声が聞こえる。聞き覚えのある声。

「ファル?」

何をしてる。って言おうとしてやめた。だって目の前にいる暴漢だと思っていた男は見覚えがあったから。

「此処までだな。家に戻るぞ」

口を開いた男。その声でそれが嘉向だって理解した。でも、学校では黒髪だったはず。何で銀髪なのか、それが分からない。

「朱加。家に行こう」

ファルは羽交い絞めにしていた腕を解いて家に招いてくれる。少し嫌な予感はしたけれど断る必要が無い。物置の後ろに隠しておいた紙袋を持って家に向かう。



「で、何しに来たんだ?」

タバコに火をつけて一呼吸したあとに嘉向が問いかけてくる。

本当は殴り飛ばしたいところだったけど、それじゃ元の木阿弥になってしまうから何とか怒りを押さえ込む

「ああ、忘れるところだった。先に済ませておかないとな」

紙袋の中身を取り出す。

「今日は申し訳なかった」

テーブルの上に置いて立ち上がり、深々と頭を下げる。

「別に、そんな事しなくても良かったのに。こんな事されたって単なる重荷になるだけだ」

痛烈。そう言われては返す言葉が無い。

「でも、先に手を出したのは黒良だから・・・・・」

・・・・・


「はぁ、わかったよ。それじゃ、ありがたく頂いておく。それで帳消しな」

渋々と嘉向が受け取る。

「それじゃ、それを食べながらコーヒーでも飲もうよ」

さっきから何をしているのかと思ったら、コーヒーを入れていたのか。

ファルが人数分のカップをテー部の上に置く。

「それじゃ、遠慮なく」

ちょっと暖房が効きすぎて暑かったから喉が乾いていたから丁度良かった。



「飲むな!」



一口飲んだところで嘉向が叫ぶ声。



あれ?

変だな?

目がぼやける?

何か、意識・・・・・が・・・・・


・・・・・・・・

・・・・・・・・



ガタンとカップの中身をばら撒いて朱加がテーブルに突っ伏す。

「ファル。何を混ぜた!」

朱加の首筋に手を乗せて脈を測る。

「いつものクスリを。大丈夫、もう目覚める事はありませんから」

感情の排除された丁寧な言葉。コレは“仕事”をする時の言葉使い。

「なら解毒剤はあるな。急いで持ってきてくれ」

スッとポケットからファルが解毒剤を出す

「どうぞ。ですが無駄です。一口でも致死量を軽く超えているはずですから」

・・・・・・・とにかく無いよりはマシだ。

意識を失っている朱加は自分で飲む事は出来ない。

アンプルでもあれば別だが・・・・・生憎俺たちには必要が無いから置いてあるはずが無い

「仕方ない」

ファルの手から解毒剤を取ると、中に入っている液体を口に含む。

朱加の顔を上に向けて・・・・・・ええい、迷ってる暇なんか無い!

唇をピッタリと合わせる。

少しずつ、少しずつ、ゆっくりと舌を使って朱加の喉に流し込む。

「ふぅ」

全て朱加が飲んだのを確認してから顔を離す

「まったく、嫌いな癖して徹底して無いんだから」

普段の口調に戻ったファルが不機嫌に文句を言ってくる

「しょうがないだろ、死なせたくなかったんだから。分かってんのか? この国で毒殺なんかした日には大騒ぎになるんだぞ」

「大丈夫だよ。マザーに頼めば・・・・・・」

「難しいと思う。今日分かったんだが、こいつ等は良いところのお子様なんだってさ」

そんな奴らを押さえつけるのは困難だ

「・・・・・悪かったわね。勝手に判断しちゃって」

明らかに不機嫌なファル。

「そう思うならコイツの家に電話して今夜止まらせるって言っておいてくれ。それと・・・・・・・」

「なに?」

「別に怒ってはいない。俺も朱加の素性を知らなかったらそうしていたはずだから」

それだけを告げて、寝室に朱加を運ぶ。


朱加をベッドに寝かせて顔色を見るが、良くなる気配は無い。

ファルの奴、いったいどれだけの量を混ぜ込んだんだ!

胸が上下しているけど、このまま持ち直すかどうか・・・・・・・。

・・・・・

・・・・・

ポケットからグローブを取り出す。刻印の入ったグローブを。

それを手に嵌めて朱加の胸に乗せる。


イメージは

体を流れる血液

その流れを右手に集中する

そしてその流れを朱加の胸に流れるように

右手が疼く



一時間?

いや、もっとかもしれない。

朱加の胸は大きく上下し、顔色も良くなった。

「コレで安心」

だけど、俺の方が限界。このまま眠らせてもらおう・・・・・




10

「んん、朝・・・か」

朝の光で目が覚める

あれ? いつもと光の当たり方が違うような・・・・。それと体も重い、何かが乗っかってる・・・・。

目を開けて、私の上に乗っている物を見る

「えっ・・・・・・」

嘉向が私の上に覆いかぶさるようにして眠っている。

「静かに」

小さな声で言われた

「ファル・・・・」

ドアに寄り掛かり、腕を組んで目を瞑っていた。こうして見ると、男の人のようにも見える。男装の麗人と言った所か。

「嘉向が起きちゃうでしょ。昨日、ずーと看病していたみたい」

なんで、って言う当然の疑問が頭に浮かんだ。

「ゴメン、ちょっとコーヒー豆が古かったみたい」

ポリポリと頭を掻いて、バツが悪そうにファルが呟く。

ああ、そのせいで私が倒れたのか。そう言えば意識を失う寸前に嘉向に“飲むな”って言われたような気がする。

「そう言うわけだから、嘉向が起きても寝てる振りしてあげてね。コレでも結構気にするタイプなんだ」

言い終わると、音もなくファルはドアを開けて退室して行く。

そうか、嘉向は女嫌いって事だから非常事態とは言え私を助けた事を知られるのが嫌なのか。



そこで待て。って何かが訴えかけた。

食中毒ってことは、だ。解毒剤を飲まなければなら無い。注射や点滴って言うのもあると思うけど一般人が持ってるはず無いし。

と言うか、病院に連れてけって話ですよ。マジで。


まぁ、そんな事に頭が回らないくらい焦っていたのかもしれない。大急ぎでクスリを探して・・・・・・・・。

探して・・・・・・・・どうするって!?


当然、意識が無いから口移ししか無い。

ファルが?

そう思ったときに、口の中に凄く嫌な匂いがしたのが分かった。

そう、私が大嫌いなあの匂い。

唇にそっと手を当てる・・・・・・・


「んんっ」

あ、ヤバい

目を瞑って寝た振りをする

「ばーか、起きてるのは知ってるよ」

「むっ」

「まったく、そんなあからさまな寝たふりがあるか」

ばれていたのなら仕方ない。起き上がってベッドの上に胡坐を掻く

「五月蝿いなぁ、ファルに言われたから仕方なくやってあげたのに」

・・・・・・。

あ、困ってる。いつも無愛想かと思ったらこんな表情も出来るんだ・・・・・。

「別に、俺は気にして無いよ。命は大切なもんだし」

そっぽを向いて嘉向が答える。



「ははは」

つい、笑い声が出てしまった

「ふん、俺はお前のせいで寝不足なんだ。そこを退け。俺は寝直す」


「きゃっ」

ベッドから引き摺り下ろされる。私の居た位置には嘉向が“寝る”と言う事を強調して寝転んでる。

まだ、太陽は半分しか顔を出していない。後数時間は眠っていられるだろう。

「そっか、なら私は帰るよ」

立ち上がって、ドアのノブに手をかける

・・・・・・


「嘉向・・・・・・」

「ん?」

「・・・・私、タバコが嫌い」

「・・・・・・」

「それと茶髪の男も嫌い」

「・・・・・・」

「でも、銀色の髪は嫌いじゃないよ」

それだけを言って、部屋から出る

小さな声で「俺も朱加は嫌いじゃない」って言ったような気がする。

すぐに引き返して確認したかったけど思いとどまった。もっと、もっとコイツを知って、この気持ちが我慢出来なくなったときに聞こう。それは凄く楽しみな事。

「あ、朱加起きたの?」

ファルがコーヒーを飲んでいる。

「うん、私帰るね」

まさか、あのコーヒーも腐った豆で淹れて無いだろう。

携帯を取り出して電話する。この時間なら早弥も運転手のオジサンも起きてるはずだ。

「はい、祁答院です」

早弥の声。

「駅の近くのコンビニまで迎え来て!」

「え!? ちょっと、朱加様!」

携帯を切る。迎えが車で十五分程度。此処から歩いて行くのもその位。朝日を浴びながらゆっくりと歩く。

んー、今まで何か急いでいた気がする。これからは少しゆっくりと、女の子らしい事もしてみよう。

そう思った。


これが私たちの出会い。この後、大きな事件が起きるのだけれど・・・・・・・



後日談


いつも通りの朝食。そんな中、ある爆弾発言が飛び出した。

「早弥。今日から私に料理を教えて」

「はい!?」

「えーと、日本料理って言うよりも家庭料理。それと弁当の作り方とかもね」

父さんは顔面蒼白。黒良は使っていたフォークをテーブルに落とし。早弥の持っていたお皿が床に転がった

「あんた達、失礼この上ないわね」

それでも怒らなかったのはほんの少しだけ、怒るのを我慢しようと決めたから。


「朱加〜〜。男か?男が出来たのか〜」

情けない父さんの泣き言で結局爆発してしまうのだけれど、とりあえず努力はしてるって事で・・・・・ね。








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